前回のつづき。
1人部屋に移動しました。
ここはいわゆるVIPです、先ほどの2人部屋とは違う別の棟にありました。
付添人が2人ほど仮眠できる大きさのソファベットやテレビ、広さも十分でしたがホテルではないので湯沸かしポットなどは置いてませんでした。
2人部屋のときはエアコンや照明の件で好きなようにはできなかったのでその苦労は解消されましたが、また新たな件でクレームをいれなくてはいけない事態になってしまいました。
これも写真に撮りましたが気持ち悪いので載せないことにします。
トイレの天井が壊れて開いており、そこから日本でもなかなかお目にかかれないほど大きなゴキブリがたくさん本当にわっさわっさ落ちてきて、狭いトイレの中で元気にうごめいてるのでした。
もーーーーこれには参りました。。
せっかく1人部屋ですこし落ち着けると思っていたのに、こわくてトイレにも入れません。
掃除用のサプ(ほうき)を家から持ってきてたので一度目の大群は自分でなんとかやっつけましたが、すぐまた二軍目の大群が、、ほんとうに10匹くらいづつ。。
もうとにかくとなりのトイレにゴキブリがいるというだけで眠れないので、VIPの窓口に訳を話して部屋を変えてほしいと伝えました。
ところが時間はもう夜の9時。
いまから部屋を変えるのは無理だそうで、ゴキブリ用のスプレーをスタッフが買いにいってるからもう少しまっててといわれました。
『もうとにかくあんまりだから、来てっっっ!!!』
『ゴキブリがこわいの??』
ああ、たしかに、、そこで思い出しました。
以前もともだちのバリ人にゴキブリを怖がっていたら大笑いをされたこと。
『こんなのおもちゃよっっ!!』といって踏んずけていたこと。
どうやらバリ人にとってゴキブリはそんなにこわいとか、汚いとかの対象じゃないみたい。
でも基本汚いところに出るんだけどなぁ。
さらに雨季の大雨の日。その友達は『みてみてっっ!おもしろいわよっ!』と言い、外の塀を見るようにわたしに言った。
どしゃ降りと暗さで目を凝らさないとわかりづらかったが、よくみるとぎょうさんゴキブリが塀を這い上がってる。
雨水から逃げるためにいつもこうなんだとか。
でもこれは民家の多いデンパサールでの話。街は建物が密集してるからだろう。
マデウィではゴキブリはそれほど見たことがない。引っ越すまえの仮住まいだった家ではしょっちゅうねずみの屋根裏を走る音が聞こえた。
そしてそれを標的にする猫。
朝窓を開けるとねずみの死骸があったことも何度かあった。
ここに住むうえでは、ねずみ、ゴキブリ、やもり、蝿、蟻、蚊、ときには特大サイズのスズメバチ、蛇、とくに怖いのがコブラ、、いつも隣り合わせで切り離せない。
以前家の近くで歩いていたところ、わたしのいる方向へ蛇が忍び寄ってきたことがある。
わたしは気づかなかったがそれに気づいた家族が『あぶない!!』と、教えてくれ、難を逃れた。コブラだった。
とくに田舎のここマデウィで住むうえで蛇の危険は切り離せないらしく、『日本から蛇よけ買ってきた方がいいよ』など、日本に詳しいマデウィ人からも言われたことがある。
『子供を外で遊ばせるのこわいな、、』いつもそう思っていたが、そこで役に立ってくれるのも猫。
猫がいると蛇も近寄らないんだとか。
たしかに、飼っているわけではないが、勝手にうちに住み着いてるオスとメスの2匹がいて、いままで2度庭で蛇が死んでた。
コブラではなかったからよかったものの、油断はできない。
そういえばわたしが日本に帰ってる時、私のタンスの下に割と大きな蛇の抜け殻があったらしいけど、本人はどこ行った??!抜け殻だけ残して行方知らず。。もうこわすぎるっっ!!
うちの家のまわりは四方バナナ畑や空き地だから危険も多い。
最初いらないって言ったけど、やっぱりせめて高い塀を作っといてよかったーーー。
バリでは結構猫を飼っている家庭が多いけど、きっとこんなことからも猫は家族の一員なんだろう。
『猫はいじめちゃダメ』と、言われたこともあり。
そんなこんなではなしはゴキブリに戻るが、飼ってきてくれた『プシューーーーーッッ!!』は非常に強い薬品臭。
たしかにちょろっとかけるだけでコロリなんだけど、やってるわたしまで吸い込んで喉がいたい。そうとう強いのかうがいしてもとれず、翌朝までいたい。。
これでVIPかぁ。。ゴキブリの恐怖といろいろが混じって、もう一度翌朝クレームをいれた。
『感染で入院してるのにゴキブリのいる部屋なんてっっっ!!はやく変えてくれっっ!』
もう準備はすすんでいたようでわりとすんなり変えてくれた。
ちょっと落ち着くことができた。
5日目だけゴキブリのいる部屋ですごすことになって、さいご6日目。
このときはまだ明日退院できることは知らなかったけど、はじめて会うナースがやってきた。
これが写真の彼女。名前はアリットさんという。
日本語は久しく使っていないので。。といいながらもかなり上手な日本語。聞けば以前東京の老人ホームで働いていたことがあるという。
またしても日本語のできる病院関係者を見つけてしまいうれしかった。
彼女はわたしのブログで写真や名前を載せることも承諾してくれ、翌日退院時には病院入口まで見送ってくれた。
今回は皮膚科と眼科の先生に掛かり、あれだけ酷かった病状を1日も無駄にせずよく回復させてくれたと思ってる。
最初は10日ほどかかるかもと言われていた。
やはり、健康ですごせることが一番であるものの、予期せず病に掛かったり怪我したりは無きにしも非ず。
知らない土地では文化や言葉の違いも尚更心細い。
2人とも女医だった。
あーーーほんとにたいへんだった。一番頑張ったのは痛みに耐えた息子だが、
その息子、病院食のおかゆに目覚めてしまったらしく、おかゆがこんなに美味しいとは思っていなかったと今でも言ってる。
1日三度のおかゆが待ち遠しくておかゆが支えてくれた。
ここでもう一つ、おかずとして海老の炒めたものがけっこうな割合ででてきた。
2回アレルギーであることを伝えたが、その後も海老は提供され続けた。
もうこれはしょうがないのかもしれない。。
病院の目の前に店がいくつか並んでいる。
その中の一つのムスリムのワルンで入院中わたしは食事をとっていた。
基本はナシチャンプルだけど、ソトアヤムなどもあってけっこうおいしい。
病院食だけでは足りなかった息子にわたしはなんどもここのソトアヤムを買っていた。
スープだし、のど越しの良いはるさめが入っていて味も美味しいし食べやすかったようだ。
いまでもソトアヤム食べたいと言っている。