バリ島マデウィに住む女子の雑記ブログ

いつも波乱含みで周りと同じように生きられない女子の体験エピソード

#14 体調不良はじまる、原因不明と診断、過るのは放射能、そして引越し

2015年1月1日、わたしは生まれ育って親しんだ東京の暮らしを捨てて、まだ下見で1度しか足を踏み入れたことない岡山県へ引っ越した。怒涛のような毎日で振り返るとどのように乗り越えたかはっきりとは思い出せない。でもなぜ仕事をやめてまで、引っ越しまでして、また何故引っ越す先を岡山に決めたのか、、その後仕事はどうしたのかなど、ゆっくりと思い出しながら書いていきたい。

当時は放射能について意見を述べると風評被害だといわれ、次第に口に出してはいけないことなんだと分かり、本当にごく身近な人にしか言ってこなかった。だけど今思うのは、まだ若いのに体調不良に悩まされる人、原因不明の病気と言われてる人、若いのに癌を患ったりまた亡くなる人があまりに多すぎると思う。

身近な人で若くして亡くなった人はまだいないが、身体の不調を本当によく耳にする。昔癌は60代70代で初めて罹る病気だったはず。。それを忘れてはいけないとおもう。もし身体の不調で真剣に困ってる人がいて、わたしの話や体験談が自分と重なることがあれば参考にしてもらえればと思う。

ニュースでは若い有名人の死去ニュースが本当に多く、バタバタと倒れていってるようで怖いと感じる。あの時の自分と照らし合わせながら、、いくつもの病院で検査しても『原因不明』としかいわれなかったことの焦り、将来への不安。わたしは一度離婚している。真っ先に頭を過ったのは『わたしが死んだら子供はどうなるか』だった。

2011年の地震の時、わたしは東京にある会社で働いていた。震災後はすぐに放射能の危険性のニュースが飛び交い、飲み水や料理に使う水に水道水は使わず、買って利用していた。だけどそれは私だけじゃない。周りの人もしばらくはそうしていた。そしてそのようなニュースは段々となくなっていった。ニュースがなくなるうちに次第に自分も緊張が解けて、会社で飲むコーヒーは水道から出る水を使っていた。前後するが後に調べたところ自宅も会社も葛飾区の金町浄水場からきてる水だった。

それからしばらく普通の日々が続き、2013年の夏。会社内では変な咳をする人が爆発的に増えた。あっちでもこっちでも『コンッ!コンッッ!』。全部の部署が遮る壁もなく同じフロアにあったため見渡すとかなり広い。そのフロアのほぼ70%が順繰り順繰り咳をしてる。妙な雰囲気だった。咳の話はあちこちでされ、薬をあげ合う場面もよくあった。

わたしも同じくこの時は咳に悩まされ、夜家に帰っても咳で寝れない日が続いた。でも熱が出ていたわけではないし、頭痛も鼻水もない。本当にみんなと同じく咳だけ。あんまり酷くても咳だけだったし、咳だけで病院に行くなんてと思っていたのもありしばらくは自分で自宅でコントロール。ついに寝れなくなってからは町の内科へ。。先生は『最近咳だけで来る患者が多い』と言っていた。薬はもらったがそれでもよくもましにもならないため、再び同じ病院へ。。これ以上の検査はうちではできないため紹介状を書きますので大きな病院へ行ってくださいと言われた。そしてそのほか首が痛かった。こんなとこ痛くなったことはない。首の後ろ。そして咳が出始めてからいろいろな個所がとにかく変になった。とにかく妙。

思い出せるだけすべて書こうと思う。これらの症状どれもがはじめてだった。体中おかしいことのオンパレードだったので、次第に心配になりこの時はわたしの脳もおかしくなりしぼんでいってるように感じた。

ものがすべて黄色に見え始めた。でもこれは夏だったこともあり、暑さで目がやられているんだろうと思った。

夜横向きに寝ていると上にしている耳の奥でなにか動いてる。コロコロコロッっと。痒いようなくすぐったいような。周りにわたしの耳の中の音までは聞こえないが、わたしにはクルックルッ振動のような音が聞こえてる。ツーーーンともしており、何度も耳の上下位置を変えた。耳鳴りはしょっちゅう。耳はとくに脳が近いので怖かった。あのままいってたら最近よく聞く突発性難聴になってたんじゃないかと思う。

シャワーをすると毎回ごっそり毛が抜けた。排水溝は常に真っ黒だし自分の手に絡まった毛の量をみて毎回ぞっとし、なんどもその驚きを家族に報告した。そしてシャワーの水。前は感じたことのない、水なのにまるで金属のチップが肌に当たっているよう。電気が走ったようにピリピリし、チクチクして痛かった。

手から物を落とすようになった。仕事中にぎってるペンをよく落とすようになった。なんか本当に変な感じ、落としたことに気付かないくらい、まるで麻痺してるのかなんなのか『フッ。。』と。首はもちろんこの時ずっと痛かったんだがそこにつながるように手の先もビリビリ痺れて震えるようになった。『止まれっ』と思っても止まらない。まるで自分とつながってないかのよう。腕もバトミントンをやったあとかのようにしびれる。

そしてこのときはじめて心臓がチクチクするのも体験した。ほんとうに針を刺されているかのよう、手で鷲掴みにしてなんとか堪えたけど痛すぎて息が出来なくなり、合わせて脳も止まるようなやばさ。

会社の階段をなんども踏み外すようになった。天と地がひっくり返るような、、これもほんとうに上っていて突然『フワッ。』と。

低線量の放射能被ばくでは下痢や鼻血も言われているがわたしはこれはなかった。鼻血を出すのは子供が多いと思う。その時うちの子が通っていた小学校では1日のうちに鼻血を出す子がある程度いたようだが、自分の小学生の時を考えても鼻血を出す子はわりと日常的にいたので鼻血は繋げないとしておく。わたしの身にも鼻血は起こらなかった。

そして体毛がおかしくなった。本来女性の体毛の柔らかい毛なのに右の腕と脛の決まったところだけ男のようなごわごわの毛が生えてきた。本当にそこだけ。剃刀で剃っても剃ってもまた馬の毛にも似た硬い毛が生えてきた。だれかに見られるとやばいので剃刀で間に合わない時はタイツや長袖で隠していた。ざっとこんなもんだろうか、でもまだあったかもしれない。

外部被ばくと内部被ばく、放射線は身体の細胞を突き抜けて細胞を壊し影響を与える。レントゲンの原理と同じ。小学2年生になるまで住んでいた浅草のマンションではうちのちょうど下に外科のクリニックがあり、結局離婚してしまったがうちの母は『レントゲンが子供たちの身体に悪影響!下の階から放射線が突き抜ける!』といつも怒鳴りながら父を困らせていたそうだ。わたしの母はわたしが小さい時『大地を守る会』にも入っており、そういった類には神経質だったし読書家で勉強が好きだったからいろいろなことを知っていた。

放射線は突き抜けるだけじゃなく体の穴という穴から侵入してくる。

脱毛(毛穴)、物が黄色に見える(目)、鼻血(鼻の穴)、咳(口)、耳鳴り(耳)、体毛異常(毛穴)、わたしはあの時そういう風に感じてた。