バリ島マデウィに住む女子の雑記ブログ

いつも波乱含みで周りと同じように生きられない女子の体験エピソード

#12 ニュピの日のマデウィ

ニュピの日のマデウィ

 

 ニュピとはバリヒンドゥー教徒の新年にあたる日。この日は外出はおろか、空港も閉鎖され電気を付けることなど禁止されている。訪れている外国人もおなじ。数年前までこの日だけはWiFiも使えなかったが、コロナの影響もあってかこれは今は使えるようになった。

でもマデウィはまったく様子がちがう。

先日知り合いの日本人と話してるところ『えっ?ニュピなのにそんなことしていいのっ?』となった。マデウィだけなのかどうかは分からない。でも一緒に話していたバリ人女性はバリの北部出身だそうで、マデウィと同じく小さい頃はニュピの日に道路を自転車で走ったりなどその日しかできない遊びをして楽しんだと言っていた。

書いていいのか少し迷ったが、もう昔からだし公的機関でも了承済みと夫が言っていたのでそれについて書こうと思う。

 ニュピの日は市場もお休みになるのでヒンズー教徒もイスラム教徒も変わりなくその前日の朝には大勢の買い物客で賑わいます。

この日マデウィの他、両となりのプルカン村とスンブール村もあわせて3つの村が歩行者天国になるため、ワルンではニュピの日の特別メニューを準備する店もあります。

家族の中でワルンを営んでる女性に買い物中会いましたが、何やらかなり大量の小松菜を購入していました。何か売るの?と聞いたらスブラック(インドネシア、バンドンの辛い伝統食)を作るのよ。と教えてくれました。

普段そのワルンでは出していないメニューです。ほかにワルンを経営してない一般の人でもこの日ばかりは何か作って売ったりもしているようです。

実際、ふだん歩いたりできる場所じゃない分、この日はほとんどの家族が家から出てきて大通りを散歩するため、かなりものが売れるんだそうです。

 時刻は朝の4時頃。本来ならば、車がストップするのは朝の6時からですが、夜中の2時ころにはすでにまばら。この日はモスクのアザーンも鳴らないため、車の騒音もなく静まり返ったなか、子どもたちの元気な楽しそうな声が早朝から響き渡っています。

子どもたちの楽しみは決まって自転車。車ばかりでふだん村でまったく自転車を見かけないわたしは『どこにこんなに自転車があったのっっ?!』と驚きます。

ニュピの日が近づくと自転車やら三輪車やら手押し車など何かしら子どもの乗り物を注文する家庭が一気に増えます。そして奥さん同士の会話も『もう買った?』。

日本円で1万円以上する電動子供バイクなどを買ってあげる人もいてびっくり。子どもはまだ乗りこなせないどころかよくわかっておらずその年齢に到達してない場合も。。

そんな乗り物は周りの子どもたちの憧れになり、取り合ったり、泣いたりしてるのもよく見かけます。

 うちの子も、去年は貰い物のおもちゃのバイクで十分かなぁ、と感じたためわざわざ買わなかったのですが、案の定ほかの子の気に入った車を見つけてしまったため、走って駆け寄って強引に奪い取り、まわりが笑う中諦めさせるのが大変でした。

 

家庭の経済状況にも因りそうですが、見た感じこの日ばかりは大人たちも奮発して自分の子どもにいいものを与えているようでした。

去年それほど見かけなかった大人も乗れる電動バイクもかなりの数見かけます。値段は日本円で4万~5万程だそう。キックボードやスケートボード、ほんとにこの日の午前中はあらゆる乗り物でごった返します。去年はニュピ前、うちに2度間違って他の人の注文した自転車の配達がありました。

わざわざ道にでっかいシートを広げて団らんしてる人もかなり見ます。知り合いの奥さんたちは毎年ニュピの日にプルカン村の端からスンブール村の端まで喋りながらウォーキングするそう。汗でキラキラして顔が健康的に火照ってる。

この日は厳かに過ごすバリの他の地とはまるで違うトラックの騒音のない子供たちの声だけの和やかなムード。

その様子を微笑みながら眺め、道路を歩いてる外国人の姿もみかけます。

マデウィのビーチもあふれんばかりの人人人。そしてバイクの数。ニュピに入ったらここまで来れなくなるためその前に一斉に移動してくるんだそう。海もサーファーだらけ。他の地域では海に入れないためみんなここまで逃げてくるとだれかが言ってました。なのでホテルなどの宿泊施設はどこも満室で値段もニュピ前後はすこし高くなるそう。

アザーンが鳴らないとなんかいつもと違う変な気分になります。

そして日中日が高くなる頃は人もまばら。

少し涼しくなる頃にまた人が出始め、夜まで続きます。

暗くなると道路上でギターを弾いて歌う若者や、夕飯を食べに出かける人、ただ地面に座って喋る人たちが多くなります。

 

マデウィではニュピは道路が歩行者天国になる一年一回のお楽しみという話でした。