夫はわたしの作ったご飯を食べられない。
つい昨日、バリ島在住のバリ嫁さんがやってるYouTubeを観てて『ハッ!』としたことがあった。その方の義理の姉(長女)はわりと何でも食べられるが、やはり姉(次女)の方はインドネシアメニュー以外は食べられないと言っていた。そしてそういう人はわりと多いとのこと。。
わたしの夫はインドネシアメニューどころか食べられるもの自体がものすごく少ない。なので一緒に出掛けると食事でものすごく苦労する。とにかく変わったものがだめ。日本のもので言うと、うどん、煮物、煮魚、パスタ、親子丼、、もちろん寿司、刺身。生ものは分かるのだが、火が通っているものでも受け付けない。最初は『辛くないと食べられない』と言っていたので、そうか、、と思い、辛くもしてみたが実際はもっと深刻だった。
見た目だけで気持ち悪くなるそう。例えば煮魚。。青魚、赤魚、、。煮汁は醤油で茶色いものの、魚の肌はまだまるで生きてるように感じるという。はじめ作った時は鍋を覗いて『、、生きてる、、』と言われた。『食べてみて』と言っても絶対手を付けず、ワルンにチャンプルを買いに行くと言って出かけていった。
親子丼も同じく『気持ち悪い』と言う。玉子の部分はまだしも鶏肉の白い肌がまだ生きてるようなんだとか。まあ分からないではないが、お腹空いてるからには、まぁまぁ美味しいし、そうも言ってられない。
うどんやパスタはそれでも少しは食べられるようになったが本当に少しだけ。。『ごはんがないとっ!』と、言う。麺だけではだめなんだそうだ。いつもインスタントのミーゴレンばっかりご飯なしでも食べてるくせに。
確かによく聞くがインドネシア人はご飯が好きだそうで、ラーメンをおかずにしてご飯を食べる人が多い。一つの皿でぐちゃぐちゃにしてだ。チキンカツは鶏肉好きのインドネシア人に受けが良いようで、たいていのレストランで見かける。夫もたまにはチキンカツだったら食べる。
『日本料理がだめなんだ』と分かったわたしは周りに教わり、だんだんインドネシア料理を作るようになった。本来わたしは定食屋で出てくるような日本っぽい料理が好きだが、夫が食べないんじゃしょうがない。無駄にもなるし、わたしと夫、別々のものを作るのも面倒だし、それにこっちで作っても日本で食べるほど美味しく感じないということもある。
気候や水が大きく関係してるように思う。朝炊いた米は翌日には臭う。日本では、塩素が入った水道水を使わずにペットボトルの水を使って炊いてもそんなにすぐに傷むことはない。出汁の粉末を使った味噌汁も日本で飲むのとは微妙に違う。そんなわけで日本の食材はいつも大体棚の上で残ってる。
ところがわたしが作ったインドネシア料理を食べる時もあるにはあるのだが、実際は食べないことの方が多い。何もなければしょうがなく食べるという感じ。わたしはイスラム教になってからは日本でも豚を調理してないし、もちろん食べていない。外食でうっかり混入してたことなどはあるかもしれないが、日本ではもちろんレストラン入店前に店員に確認する。まだまだハラルフードが定着してない日本では、わたしはこのくらいが限度だ。なのにまだ疑っているのだろうか、、?
イスラム教では、たとえ豚が入っていなくても、豚を調理した同じフライパンで作った料理は普通は敬遠される。バリ島在住イスラム教徒はわたしから見れば皆とても大変そうだ。地元だけならまだしも、デンパサールのあるバドゥン県など行けばヒンズー教徒が多いためどこでも気軽に入れるわけではない。食肉処理の方法などは大問題だろう。
こんな経験がある。近くのヌガラの街へ家族で行ったときのこと、タピオカドリンクを飲みたかった甥が『あそこ入ろうか?』と言ったら他のみんながじーっと店の様子を車の窓から覗き、すぐさま『だめだめ、ヒジャブ被ってる人がいない、ヒンズー教の店よ』と言っていた。その後しばらく車を走らせてもイスラム教徒の経営するタピオカドリンク屋は見つからず、結局皆飲まずに帰った。
このくらい口に入るものを日ごろから厳しく注意している人もいれば、サーフガイドのような人と関わる仕事の人などは、豚は食べないもののそこまで厳しくもなれない人がいるように感じる。
ハラルマークはもちろんだがヒジャブも大きなポイントだ。わたしはイスラム教になるときにモスク横の土だと説明された、茶褐色の水を飲まされた。
『土っっ?!土なのっっ?!飲んんんでだいじょうぶなのっっ??!!』とだいぶ騒いだが、奥さん方曰く、
『これを飲むことでコカチが今まで食べた豚や悪いものが浄化されるのよっ!さぁ飲み干してっっ!』、、
と言われ、夫もわたしがそれを飲んだこと知ってるはず。でもまだ豚が入ってると疑っているのだろうか?バカールイカン(焼き魚)のようなバーベキューは喜んで食べるのに、わたしの料理はなぜかあまり手を付けない。
夫の兄弟はこれまた難しく、一番上の長男はアヤムカンプンしか口にしないそうだ、アヤムカンプンとはそこら中駆け回っている放し飼いの鶏のこと。でもこれ、一羽大体約700円位する。味は美味しいがブロイラーとは違うので痩せており肉も少々固め。グラムは計ったことはないが、ブロイラーが胸、腿選べて大体1キロ約350円と考えればやはり高い。流石長男と思った。子どもがたくさんいる家庭はそうも言ってられないもののやはりブロイラーを敬遠してる。マデウィは海に面しており海の幸が豊富なため、ブロイラーよりはみんな魚を好む。アヤムカンプンはみんな大好きだ。
アヤムララパン(鶏肉の揚げたの)はわりと食べるのに『なんなんだっ』と思う。
『それ、ご飯含めて100円でしょ?それブロイラーだからね、嫌と言ってるブロイラーですから。』
と、何度も言ったけどこれもインスタントのミーゴレンと同じく彼にとってはいいことになってるらしい。外食中、食事のことで機嫌が悪くなるのを何度も見てきた。
ベジタリアンで注文したのにソーセージのような食感のものが入ってた時は店員を呼びクレーム。違うのをくれとまでは言わないけど『ベジタリアンで注文したのに!』、、
や、美味しいのを期待して海辺のレストランへ入った時、わたしにとっては美味しかったが彼にとってはまったくの期待外れだったらしく、、
『ジャワで食べる魚のスープはもっと美味しいよ!』といい、まだ半分以上残ってる料理を食べるのをやめ、車に戻り、持ってきたプリングルスチップスをじゃらじゃらと白ご飯にかけ、店員に見えるように怒りながら食べた。
宗教的なものは仕方ないにしても、もっと大人になってほしいと思う。感情的になると暴走するタイプだ。他の兄弟たちはもっと大人なのに、、
そう、、だからわたしは彼と食事するのはいつも嫌な思いをするのが前提なので、一緒の時は彼の行動範囲についていくだけだ。
わたしは料理を頑張っているつもりだが、その味に慣れ親しんで育ってきたわけではない。ソトアヤム(鶏の春雨入りスープ)やイカンペペス(バナナの葉を用いた魚の包み焼き)など好きなものもたくさんあるが慣れない調味料とレシピとで時間がかかり、炒めるくらいなら簡単だが、手の込んだものやたくさん材料がいるものは散らかるしやりたくない。だからやはり本場ではないし、美味しくないんだろう。いつも残ってばかりでもったいないので作る回数も減った。
食が合えばよかったがまったくの正反対なのでこれは失敗だったと思ってる。無言で食べるのはいいことだが、食べてる最中、料理に関して一言もない。おいしいのか、おいしくないのか、がまんしてしょうがなく食べてるのかなんなのかいつも分からない。上の息子はいつも『美味しい!美味しい!もっとある?』と鍋ごとさらってくれる。食べ過ぎて心配なのだが、料理に関して『もうちょっと塩があってもいいな』などのコメントもくれるので可愛いし、もっと作ってあげたくなる。
貧しい子供時代だったそうだから味に関して言える環境ではなく育ったのか、、。子供時代のマデウィはどの家庭も相当貧しかったらしい。小学校の遠足のお弁当はバナナ一本だった。とか、制服を買えないためお兄さんからお譲りの穴の開いた一着だけでずっと通うのだが、先生からは汚いから洗いなさいといつも言われる。洗い替えはないため学校に行かなくなる。などなど。。貧乏話はたくさん聞いた。兄弟何人かから聞いたが、お母さんの料理、、貧乏なため、人数分ない料理はお皿によそい先に匂いを嗅いでいく。兄弟順番に。そのあと分け合ってみんなで一口ずつ食べたんだそうだ。もちろんお母さんは食べない。この話をするとき、みんな思い出すようで下を向き悲しい顔をする。わたしの夫は『ああああっっ!』といい、顔を横に振りほどき、思い出したくもないという感じになる。それほどまでだ。それに比べるといまはものすごく豊かになった。昔はバリ全体がそうだったんだと思う。
そういった子供時代や家庭環境があるからかもしれないので、わたしはほんとうに怒った時しか言わない。むかしだろうが今だろうが金持ちだろうが貧乏だろうがあたりまえだろ、と、いう時しか怒らない。だから少々程度なら、不思議な行動取られても尋ねもしないため、なんで無言で食べて何も言わず無言でお皿をシンクに持っていくのか分からない。
せめて日本語の『ごちそうさま』があってもいいんじゃないの?と思うけど、言わせるのもちょっとできない。まわりのバリ人みんなごちそうさまも言わずお皿をシンクに持っていく。。。なんか食べるという仕事をササっと済ませるだけのようで寂しい気持ちになる。日本から長男を食卓に呼んできたくなる。
夫が食べれるもの、マデウィで買ったナシブンクス(バナナの葉に包んだ少量のお弁当)、イカンバカール(バーベキューの焼き魚)、パダンフード(パダン地方の伝統料理)、ララパン(鶏肉や魚、豆腐などをあげたものをさっぱりした辛いソースにつけて食べる)、マデウィのワルンのナシチャンプル(惣菜ごはん)、サテカンビン(ヤギの串焼き)、グレカンビン(ヤギのスープ)、インスタントミーゴレンとミークア、、実の姉が作った料理、、ほかにもあるがよく知るメインはこんなものだろうか、、?警戒心なく食べれるのはこの程度。他のものはたいてい少しは警戒する。
よその家へお邪魔し、相手からフリではなく心から食事を勧められてる場合、たとえお腹がものすごく空いていてもよほどのことがない限りは遠慮する。遠慮するのが礼儀になってるものとも思うのだが、たまにほんとうに食べたくないんだなとも感じる。
夫は今まだ具合の悪い最中だ。こんな時はいつも以上に慣れてるものしか食べられない。わたしのおかゆも無理。先ほど出かけがてらにチャンプル屋さんかパダンフードの店で食事をとろうと思ったが、金曜日のためどちらも閉まっていた。
『あそこじゃダメなのっ?!そこもだめなのっ?!』
『そーゆーのはやだっ!サユールブニン(あっさりとした野菜スープ)みたいのがいい』
『でもわたしが作ったやつじゃだめなんでしょっ?』
夫→『もー家に帰ろう!』
外食して帰るつもりだったため、家には食べ物がない。がまんはしてるが運転しながら夫のわがままにイライラが止まらない。
『(義理の)お姉さんのものならたべれるんでしょっ?!、あなただけ降ろしてわたしたち帰るからここで食べてってっ!』
そう言って、家路につく50メートル手前の義理のお姉さんの家の前で降りるように言った。最初からそうしたかったんだろう、文句も言わず素直に降りた。
しかし、お姉さんの作ったものだからといっても家帰ったあとでよく文句も言ってる。『お姉さんのさっきの料理はおいしくないよっ!』とか、、。子どもっぽいな。お姉さんの前でもやはり『おいしい』とも何とも言わない。黙って食べて、皿をシンクに持っていくだけだ。お姉さんの旦那さんも同じだそう。この兄弟の辛さのレベルは普通の家庭よりもかなり激辛らしいから辛さが落ち着くんだろうか。。
ちなみに、『美味しかった!』『ごちそうさまっ!』のような意味で『マンタップッ!!』というのをよく聞く。作ってくれた人への感謝の意だろう。
とにかくとにかく面倒くさい。日本に行くなんて無理のまた無理だろう。たとえ短期間の旅行だとしても。夫はマデウィでしか生きられない人だ。