バリ島マデウィに住む女子の雑記ブログ

いつも波乱含みで周りと同じように生きられない女子の体験エピソード

#9 メディアの嘘

 わたしがメディアの嘘にうっすら気付いたのは高校生の頃。この頃、2度ほど雑誌に載ったことがある。最初は卒業旅行に行ったグアム旅行。2回目は原宿のラフォール前。グアム旅行ではピチレモン。2回目は何だっかかはっきりと覚えてない。よくある街頭スナップ。どちらもほんとうに小さいスナップ写真だったが、吹き出しがあり、なにか喋っているように掲載されていた。この喋っている内容に疑問。。発行はかなり後だったから撮られたことさえ忘れていたけど、ほかのクラスの子たちが気付いて雑誌を持ってやってきた。

『これコカチじゃないっっ?!載ってるよっっ!』たしかにわたし。でも取材で受け答えした内容とまるでちがう。どんな内容だったかは忘れたが、かなり恥ずかしかったのをおぼえてる。

『わたしこんなこと言ってないよっっ!』たしかすこしチップ代わりにもらったがやめておけばよかったと思った。その後はなんとなく今まで通りテレビなどで見るまま聞くままに『へぇーそうなんだぁー』とメディアすべて信じて生きてきた。

 

わたしが最初に結婚した旦那は当時2005年頃だったがもうすでにメディアは嘘ばかりと知っていたようで、テレビをつけるなり『こんなのウソッ!ウソっ!』とよく言っていた。まだよくわかっていなかったわたしは『これウソなの?』と聞くと『お前は信じやすいからだまされんなよ』とよく言われた。

普段のんびりしてるけどいまさら褒めるのも変だけどほんとうに頭がキレッキレの人ではあった。わたしと性格が真逆。お姑さんと同居で政治に詳しい家庭だった。親子はいつも政治の話で盛りがっていた。お姑さんの料理はプロ並み。家に砂糖は置いていない。朝は起きて一番に昆布とかつおで出汁をとり、すべての料理に使われる。調味料は醤油、みりん、酒、塩くらいでほかにはほとんど置いてない。冷蔵庫もがらんとしてる。砂糖を使わないのに箸が止まらなくなるようなかぼちゃの煮物なんかを作る。それまで煮物なんて好きじゃなかったけどお姑さんにいろいろ教わってから煮物が大好きになった。かぼちゃのくせに鋭く繊細で角のあるはっきりした味。砂糖を使っていないのに上品な甘味がありほんとに高級料亭で出されるような味わい。砂糖を使っていないから後味もまったくくどくない。類まれな味覚の持ち主。故郷が北海道だからなのか、使う食材は豪快で贅沢なものばかり、わたしが生まれて初めて知ったものもたくさんあった。東京の一般家庭、しかも母子家庭のため母は忙しく作ってくれたものといえば鯵の開きの焼き魚。野菜炒め。夏場はひたすらそうめん、毎日納豆、、。それくらいしか思い出せないわたしとしてはまいにちびっくり箱だった。

 

そしてメディアの嘘にはっきりと気づくことになる。そのお姑さんが貸してくれた一冊の本だった。著者 安部司『食品の裏側』。驚きの連発だった。

いままで何も知らずに平気で食べていたことにショックや怖さも感じた。読んだあと『わたしは元々食べないけど、砂糖を使わないのもおなじこと、砂糖なんか使わなくてもおいしいものは作れるのよ。』横で旦那が『砂糖なんか食ってるとバカになる、砂糖は食べなければだんだん身体がそれに慣れて拒絶する』と言ってきた。彼と別れたあと、友人たちや弟にも言われたけどなかなか本当にすごい家庭だった。お舅さんはすでに亡くなっている。たしかに砂糖の入ってる菓子パンなどは一度も見たことない。カップ麺ももちろん。わたしもその間はそれに倣って生活してた。でもそれほどきつくなかったのは元々インスタントフードやスナック菓子、カップ麺、炭酸飲料や甘いものをそれほど好きではなかったからだと思う。カップ麺もそれまでの人生で数えられるほどしか食べたことがない。

 

最初の結婚生活はほんとうにいろいろあったけど生きていくうえで大切にしなければならないことや、必要なこと、自分の意見ははっきり述べることなど、、この生活で学んだことは多かった。病院には行ってないが間違いなく鬱だったとおもう。それまでの人生で唯一わたしじゃない究極の期間だったけど、修行だったのかこれのおかげでそれ以降いろいろ内面的なものが変わっていった。

 

そんなわけで今もテレビやニュース、バラエティなんでも見るけど、タレントの発言したことがどうとか、ニュースでロシアによるウクライナ侵攻とかすべて目に映る耳で聞こえてくることをまるで信じていない。

見るのは好きだが真剣ではない。リラックスするために、頭を休めるために見てる。常に本気ではないため『ふーん。』と。いつも違うことで頭がいっぱいのわたしにはこれらを見て『うそやん、うそやん』と思ったり、逆にメディアの裏側を探って意図まで予測し、何かと紐づけるほうが楽しい。

 

息子とはよくそれで言い争いになる。メディアをまじめに受け取るのをわたしがいちいち注意するから。。息子はわたしのように『え、そうなの?これうそなの?』とはならない。『もうっ!そーゆーこというのまじでやめてっっ!!』と返してくる。

 

そうだよね、それは自分自身になにかが起きてから。。またはこどもが出来たとき、そのこどもが危険にさらされたときにはじめて目覚めるものだと思う。

 

わたしの頭の中のイメージ(食品の色付け)