バリ島マデウィに住む女子の雑記ブログ

いつも波乱含みで周りと同じように生きられない女子の体験エピソード

#8 断食明け新年ハリラヤ in Medewi

マデウィの家族

記憶が薄れないうちに、断食明け初日のことを書く。もう何度か体験しているくせに一年も経つとこの一日の流れを忘れる。

朝だいたい8時ごろにモスクへ行き、村の老若男女全員でお祈りしたあとモスク横の墓地へ行き、亡くなった人たちに挨拶を済ませ一旦帰宅する。

その後となりや近くのご近所さんたちに挨拶して回りながら、実家や兄弟の家まで行く。

バリ島だけなのか、旦那の家庭がとくに拘るのかわからないが、なんでも基本は年功序列なので弟や妹の家には行かず、いつも決まってお兄さんとお姉さんの家だけ回る。

うちの旦那の両親はすでに亡くなっている。兄弟は旦那含めて9人。上から2番目のお姉さん以外は全員男だ。両親が亡くなってしまったあとは余程のことがない限り何かとお姉さんの家に集まってる。

母の味を唯一受け継いで、再現できるお姉さんは男子たちにとってとても大切な存在。兄弟たちからよく聞くが、旦那のお母さんの料理は通常マデウィの家庭で作られてる辛い料理よりも相当辛かったようだ。

義理の姉が『あの家族の料理はもう辛くてっ辛くてっ(汗)』と言っていた。

似てるようでも味も違えば辛さのレベルも家庭によってだいぶ違うみたいだ。

そんな超激辛の母の味を求めて弟たちがよくお姉さんの家に食べに来る。

なのでお姉さんの家は兄弟みんなの憩いの場。わたしも産後一か月は居候させてもらいほんとうにいろいろ助けてもらった。

ここに一番上のお兄さん夫婦は来ない。いつもお菓子や飲み物を用意して自宅で来客がくるのを待っている。

なので冒頭の写真にはいないけれどそれ以外の兄弟、甥、姪、そのまた子供たちはほぼ全員写っている。

これだけで約9人の兄弟分。いとこやそのまたそのまたを足して親戚全員いれると想像がつかない。わたしもまだ知らない人がたくさんいる。

インドネシアでは情報交換の場としてまだまだFacebookは勢いに乗っている。わたしもあんまり、、だが日本ではもうあまり使う人がいないのでは、、?

新年を迎えるとFacebook上はこういった家族写真であふれかえる。

女性陣はみんな同じカラーのドレスに身をつつみ、同じポーズをとり、、一族の多さに毎度驚く。

今年うちの女性は出来るだけ白の衣装で、とお姉さんから聞いていたがわたしは白どころかこういったイスラム女性が着るようなドレスを一着も持ってない。

隠すことが大事なだけだから、と何か催しのあるときでも長袖長ズボンに髪を隠すだけだ。でも今回ラッキーなことに義理のお姉さんが、『もうだれも着用してない細身の白ドレスがあるから』と持ってきてくれた。

インドネシアの女性はほとんどがKBといわれる避妊注射をしている。ホルモンのバランスで食欲も増し太るそうだ。なかには痩せすぎる人もいる。

自然太りプラスKBもあって結婚後は10代20代の頃のような細っそほその服は大体の女性は着れない。わたしはダイエットしてるかよく聞かれるけど、ダイエットはしておらず、単に母からの遺伝と産後膝を痛めたせいで全身の関節が弱り、ますます小さくなってしまっただけだ。脚やお尻はとくにみすぼらしい。

『アゲル』といって持ってきてくれたけど、返すつもりだ。こーゆードレスというか服は着慣れなくて好きじゃない。たぶんわたしが好きじゃないのを家族もみんな知っている。

『女っぽく、そして男性は男性らしく』ただでさえ男尊女卑が強いのに服までなんてと本当に思ってる。

息子を散髪屋に連れて行くと、かならず男っぽく角刈りみたいにされるのでいまはもう店には連れて行かずわたしが家でカットしてる。約200円。だからわざわざ掃除や大変な思いしないでプロに任せればいいんだけど、まだかわいらしい幼児。。。まだ男の世界にいかないでほしい。インドネシア人の男の子でマッシュルームカットとかロン毛はまず見たことがない。西洋人の子はけっこういる。

お姉さんの家に着くなり、すでに到着している家族全員に手を伸ばして『ラヒール・バティン』(もし過ちを冒してあなたを傷をつけていたならごめんなさい)と挨拶していく。

わたしは男性にも手を伸ばし、相手も手を出してきてくれる人がほとんどだけど、なかには男性の方から先に合掌のように胸元で手を合わせてくるだけの人もいる。そーゆー人は触れ合わず、わたしも合掌にする。

家族内ではみんなお手々を触れ合わせる。

女性はいろいろだがただ手を取るだけではなく、中には若くてもすてきなあいさつを交わしてきてくれる子もいる。抱き合うようにして両ほほを順番に重ねてきてくれる子や、手の甲にぴったり、そしてうっとりとした表情でほほを近づけてくれたり。

どこでこんな作法習うんだろう。練習するのかな。わたしが男だったらイチコロだなとあまりのお作法の綺麗さに毎回ドキドキしてしまう。でも男性にたいしてこれはやらないんだけどね。家族や女性同士だけ。

そして大人たちは談笑してわいわいしながら子供たちに新年のおこずかいをあげる。日本で言うお年玉だ。かわいいイラストが入った小さい封筒に入れる人もいれば、そのままお金むき出しで渡す人もいる。

『ピンクっ!(がほしいっ!)』とか『ブルーっ!(がほしい!)』とふざける親たちもいてなかなか笑える。ちなみにピンクは約千円。ブルーは約五百円。それぞれそのお札の色のことだ。

まだお金を理解してない年頃の子は胸ポケットに詰められたり。。それ専用に肩からポシェットを下げている子もいる。たぶん親が下げさているんだろう。その日は各家々でお金を数えている子供を見かける。日本のお年玉と全く同じだ。

そして段々と家族が集まってきてひと段落したころに『フォト、ドゥルー!』とみんな言いはじめる。『写真撮るよー!』の意味。核家族だけとか女性だけとか2世だけといった具合。

そのあとはその場は解散だが、長男、一番上のお兄さんの家にそれぞれの足で行く。またそこでさっきの家族に会うことになるのだが、いつもそんな感じだ。

一番上のお兄さんの家は、マデウィの中でも一番の住宅密集地の超ど真ん中にある。ここに行きつくまでにも一軒一軒端から端まであいさつをして回る。道ですれ違う人たちにもすべて足を止め、挨拶していく。わたしにとって知らない人だらけでもだ。

それでも3年も住んでると知り合いもだいぶ増えた。家々の扉はこの日はとくに開けっ放し。みんなおいで、おいでといってるようで入口すぐの客間に座ってる。住宅密集地だからほんとに次から次へ流れるように。このながれはリレーの様で毎年面白いなと思う。

わたしの家からここまでは少々遠く、住宅だけなので兄夫婦以外に用事はない。なので一年に一度のこの時しか来ない。家から出ないようなお年寄りにふたたび会うと『もう一年も経つのか』と一年が過ぎ去ったことをあっという間に感じる。

こうしてリレーのようなあいさつ回りが終わり、正午前には家へ戻る。

午後の礼拝が終わった後、再度あいさつに出かける人もいると思うが、前日の夜のパレードといい、この日の準備といい、一年に一度の慣れないことをしてわたしはとにかくどっぷり疲れる。また違う親戚にあいさつに行く場合は夜の礼拝を終えたあと。

断食も終わりこの頃は夜も活気があるので夜また出かける。子供たちは夜もお年玉数えるのに一生懸命だ。

そして新年2日目はちょっと遠い地に住んでる親戚や、離れて暮らす奥さんの実家に向かったりとみんなそれぞれ。

今回はわたしが迎えたイスラムの新年のことについて書いてみた。同じイスラム教でもインドネシアは広大なのでまたいろいろ違うこともあるかもしれない。新年の食べ物のことや、他のことについてもいつか書こうと思っている。